※ 本年表は、パスチナ子どものキャンペーン(CCP)ホームページ掲載の 「パレスチナ・イスラエル略年表」をもとにJPFで作成1948年、イスラエルの建国宣言を受けて第1次中東戦争が勃発しました。イスラエル建国に伴い、70万人以上のパレスチナ人が故郷と家を失い、ヨルダン川西岸地区、ガザや、ヨルダン、レバノンなど周辺諸国に避難。以来、「故郷への帰還」を切望しながら、70年以上におよぶ年月を難民として過ごしています。今や世界中で638.8万人となったパレスチナ難民の数は、ヨルダン、パレスチナ自治区ガザ地区、ヨルダン川西岸地区、シリア、レバノンの順に多く、半世紀以上前に建設され老朽化した難民キャンプで、無国籍状態に置かれて暮らしています。逃れた先での受け入1948年5月:イスラエル独立宣言・第一次中東戦争勃発、難民の発生1967年6月:第三次中東戦争勃発・イスラエルが東エルサレム、ヨルダン川西岸、 ガザ地区、ゴラン高原を占領、新たな難民の発生1982年6月:イスラエル軍によるレバノン侵攻1987年12月ヨルダン川西岸地区とガザ地区でインティファーダ(抵抗運動)始まる1996年1月:パレスチナ評議会選挙実施2000年9月:第二次インティファーダ始まる2002年:ヨルダン川西岸地区で分離壁建設開始2005年1月:パレスチナ自治政府議長選挙実施2005年8〜9月:ガザからイスラエルの入植者・軍撤退、ガザ封鎖開始2006年1月:パレスチナ評議会選挙実施、ガザでのハマスの支配が強まる2006年:7月第二次レバノン戦争勃発2008年12月:イスラエル軍のガザ侵攻2012年12月:イスラエル軍のガザ爆撃2014年7月:イスラエル軍のガザ攻撃2014年8月:JPF支援活動(第2期)開始▶ 支援活動の概要は次頁2018年5月:トランプ米大統領が、米大使館をテルアビブからエルサレムへ移転2018年8月:米国、UNRWA(国連パレスチナ難民2020年1月:トランプ米大統領「新中東和平案」発表1947年11月:国連パレスチナ分割決議採択1991年1月:湾岸戦争、湾岸諸国でのパレスチナ人の迫害1993年9月:PLOとイスラエルが相互承認(オスロ合意)・パレスチナ暫定自治協定調印1994年7月:ガザ・エリコでパレスチナ自治政府が活動を開始1995年9月:暫定自治拡大協定調印2009年2月:JPF支援活動(第1期)開始 ▶ 支援活動の概要は次頁2011年 〜 2013年:シリアでの民主化運動・内戦の激化、シリアの2012年11月:国連総会がパレスチナを「オブザーバー救済事業機関)への拠出金停止2018年9月:JPF支援活動(第3期)開始▶ 支援活動の概要は次頁2021年5月:イスラエル軍のガザ攻撃パレスチナ難民がレバノンに流出国家」として承認れ環境は異なりますが、市民権を得られなかったり就労制限を課されたりするなど、苦しい立場に置かれており、第三国への移動ができないなど、移動を制限されているパレスチナ人も数多く存在します。以下の年表は、パレスチナ・ガザ地区を取り巻く、70年以上の歴史をまとめたものです。二国家解決案が完全に行き詰まっている今日、ガザ地区の人々の閉そく感はますます高まり、ほぼ二年毎の軍事衝突を歴史が証明してきたよう、近い将来のイスラエル・ガザ地区間の紛争の再発は避けられないでしょう。復興してもすぐに軍事衝突に巻き込まれるガザ地区の人々を、私たちはどう支援すべきでしょうか。JPF支援を現場で届けてきた日本の加盟NGOの支援活動を振り返って分かったことは、ガザ地区の人々が自ら支援を担う能力を強化し、また、自ら回復する力を育む支援と、ひとたび発災すれば、封鎖されたガザ地区で迅速な人道支援を実行可能とする準備の両方が求められていることです。2ガザ地区の過去と未来FUTURE:
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